健康


死をも恐れないような人でも、恐れおののいてしまうもの、それは病気です。

 
「多病故人疎」――病気が多くなると、古い友人とも疎遠になる。


唐時代の詩人、孟浩然が病気の淋しさを看破した詩です。友情とは、友に何かをすることによって生まれる情けです。病気で気力を失うと、情けが希薄になってしまいます。友人に限らず家族であっても、情けを与えられないと、心が痛むものです。


病人を抱えた家族が、療養施設に預けることがあります。預けられた方にとっては家族から看病を受ける方が、本来は気が楽で幸せなのかもしれません。その一方で、家族に負担を与えてしまう状況に、心を痛めてしまいます。


身内のいない施設に一人で過ごす寂しさと、家族から施しばかり受けることへのいたたまれなさ。そのどらちかを選ばなくてはならない時、「自分は施設にいる寂しさの方を取る」という人は、結構いるのではないでしょうか。


体だけではなく、心の健全性まで影響を与えてしまう病気、皆様も病気にかからないように
常日頃気をつけて生活しましょう。


さて、これまで病気の暗い部分ばかり強調してきましたが、すべてが悪というわけでもないと思います。


それは、病気をすることで畏怖の念を抱き、それがその後の人生のプラスになることもあるからです。会社人間が病気を機に、昇進や仕事上の人間関係などの悩みから解放される。伍平さん(父)が心筋梗塞で入院してから、夕食以外は質素な食事しかとらなくなる・・・。


病気は我々に命の脆弱さを認識させ、健康への感謝を喚起し、草や小鳥などを愛する心を育みます。


また、病気がプラスに働くのは、人間だけではないと思います。会社組織(職場)も病を患うことがあると思います。


人間と同じく会社(職場)にとっても、病気とは無縁でありたいものです。しかし、幼児がかかるように会社(職場)も、時には麻疹にかかることは必要なのかもしれません。あっ、麻疹には予防接種があったっけ!


子供が何度も病気を克服しながら体力や抵抗力を増していくのと同じく、会社(職場)も様々な企業病と闘うことで強靱になっていくのだと思います。その意味で言えば、危機を克服したことのない会社(職場)というのは、潜在的なリスクは高いのかもしれません。


それでは、国はどうでしょう。戦後の日本の進歩と発展は、戦前に発病した病を克服したところから、生まれたのではないでしょうか。過去にかかった病気の痛さと怖さを知っている人たち(伍平さん世代)は、信念があって強かったと思います。二度と同じ病気にかかるまいと、平和で豊かな日本を築き上げました。


人であろうが、会社(職場)であろうが、国家であろうが、どんな存在であっても病は恐るべきものです。しかし、それを避けて通るのは難しい。ならば病気を糧に成長する図太さを持つべきだろうと最近考えます。

 
ものごとの本質というのは、けして書物や先人の経験から得られるものではなく、自らの力で感じ取るものと思います。自分がかかった病気をなんとか克服することで、さらなる発展があるのだと信じています。


今日の一言
 「病気を糧に成長する図太さを持つべきだろうと最近考えます」