看護学校の講師

今日は午後の診療をキャンセルして安房看護学校の講師に行ってきました。


安房看護学校准看護師の資格を持った方が看護師の資格を得るために3年間かけて卒業し、看護資格を得るための国家試験を受ける権利をもらうものです。看護学生さんたちは、既に准看護師の資格があるため大半は自分の働いている病院で仕事をしながらの学生生活を送ります。


生徒の年齢も10代〜40代まで千差万別です。もちろん子持ちもいます。
それでは、なぜそのような学校が存在し様々な生徒がいるのかというと、これは病院内で、資格により明らかな給与格差があり、看護職の待遇差があるからだと思います。


たとえば、皆様が病いで入院したとき、看護してくれる方が看護師であるのと准看護師であるのでは気分的に違うと思います。実際看護師と、准看護師では法的には患者様にできる行為に差はありません。実力的にも本人たちの努力で看護師さんとまったく遜色なく仕事ができます。しかし、先にも触れましたがこれは資格の問題ですから看護師と准看護師では様々なところで明らかに違いがあります。学生さんもその違い(差別)をまざまざと体験してきた方々ですから看護師の資格を取ることに必死です。


ここで僕がいいたいことは、医療を行う以上資格は絶対に必要です。ただし、自分が患者になった時は上級資格のあるなしでなく、一人の人間として看護してもらいたいということです。


最近、一級建築士である姉歯設計士が耐震偽装問題で世の中を騒がしました。これも一級建築士という絶対的な資格があるゆえにこのような問題が起きてしまうのではないかと思います。僕の知り合いに2級建築士でありながら、施主のためにすばらしい家を設計する人がいます。


残念ながら世の中には、資格でその人の人格まで判断してしまう人々がいます。○○大学の偉い先生だったという肩書きだけでその先生のいうことを信じてしまう患者様がたくさんいます。はたしてそれで良いのでしょうか?少なくとも私が考える医療は、資格を持った方々が資格に恥じない技術と知識を持ち、資格に見合ったモラルのもとに患者様に接することだと思います。患者様は常に不安を持って受診します。そういう前提で我々医療者が接しないとやはりプロとはいえないのではないでしょうか?


今日は准看護学生がけなげに私の授業を聞いていた姿を思い出しながら、ビールを片手にブログを書いています。そのせいか少々感情的になってしまいました。


今日の一言
残念ながら世の中には、資格でその人の人格まで判断してしまう人々がいる