故人に学ぶ


皆さん、若月俊一(わかつき・としかず)先生をご存知でしょうか?


どちらかといえば聖路加国際病院名誉院長の日野原 重明 先生の方が有名で、若月先生と言われてもピンとこないのではないでしょうか?


彼は、地域医療の発展に多大な貢献をされた偉大な先生で、私も学生時代に若月先生の存在を知りました。年配の医師の中では、彼を知らない先生はあまりいないのではないでしょうか?


たまたまネットを見ていたときに感慨深い記事があったので紹介してみようと思います。


『青年医師よ地方を目指せ 医療の原点見つめるために 核心評論「故若月俊一さんに学ぶ」


地方の医療が崩壊の危機にある。離島、山村などへき地は言うに及ばず、地方都市も小児科や産婦人科などの医師はどこでも足りない。半面、都会では大きな病院で充実した先端医療が受けられる。医療格差是正へ国が対策に本腰を入れるのは当然だが、今後の医療の担い手になる若者たちの意識に問題はないのか。


8月22日に96歳で亡くなった農村医療の泰斗、若月俊一(わかつき・としかず)さんの生き方を思い返してみたい。


1995年に「地域医療の原点」をテーマに全国を取材した。かつて老人医療費を無料にした岩手県沢内村(現西和賀町)をはじめ、新潟県・八海山のふもとにある「ゆきぐに大和病院」など各地の関係者に話を聞くと、どこでも決まって若月さんの名前が出た。


1910年、東京・芝の洋品店に生まれ、東京帝大医学部を卒業。45年3月に赴任した長野県の佐久病院(現佐久総合病院)で、「予防は治療に勝る」として巡回診療や集団健診を柱とする健康管理方式を取り入れ、新しい農村医療として注目された。

 
「必要なのは弱い者に共感する心です」。若月さんの主張に共鳴する医師の卵が次々と同病院の門をたたき、ここから各地の病院へ散らばっていった。自治医大の卒業生たちも積極的に地方医療を支えてきた。

 
しかし、この10年、医療過誤訴訟、研修医の過労死問題など医療をめぐる流れも変わり、若い医師の意識も変わってきた。それが決定的になったのは2004年から義務付けられた2年間の臨床研修だ。受け入れ態勢のしっかりした都会の病院に希望者が集中し、地方病院離れが進んだ。

 
この結果、へき地の医療はさらに厳しくなることが予想され、厚生労働省は大学医学部の地域枠拡充や、一定期間、地元で医療に従事することを条件にした奨学金の増額などいくつかの打開策を打ち出そうとしている。

 
しかし、問題は国の施策だけではない。医療に携わる側の意識も大きい。都会育ちの若月さんが信州の地にこだわり続けた理由は何だったのか。田舎のおじちゃん、おばちゃんの診察を続けることによっていくつもの人間ドラマに出合い、自身も成長する醍醐味(だいごみ)を味わったからだろう。それこそ医療の原点というものだ。

 
新聞記者の世界でも入社後の地方勤務は常識で、わたしも10年ほど支社局にいた。地方で暮らす人々の気持ちが分からなければ、中央で記事を書かせるわけにはいかない、との判断からである。

 
医師の世界も同じではないか。厚労省は、病院長や開業を目指す医師にへき地など
で一定期間の実務を義務付ける構想を導入しようとしたが、関係者の反対に遭い、見送ったと聞く。残念なことである。

 
離島の外科医を主人公にしテレビドラマにもなった「Dr.コトー診療所」(小学館)というコミックがある。この作品に心を動かされた医師の卵がいたら、若月さんが書いた「村で病気とたたかう」(岩波新書)も読んで地方の現場で一時期、汗を流すことを考えてほしい。


共同通信編集委員 上野敏彦


私が住んでいる南房総を僻地医療だとはまったく思っていませんが、地方都市であることは違いありません。私は、この地が自分の志す医療を実現でき、自分自身も成長できると思ったからこそファミール産院を開設しています。


ところが、世の中の風潮が、私のような個人開業産婦人科医に大変厳しい環境です。私はまだ若いので、踏ん張る体力があると思っていますが、大変なことになってしまうのではないかと思います。


このまま行くと、中央の医療政策のおかげで我々地方住民が多大な苦労を強いられるかもしれないと、大変心配している今日この頃です。


今日の一言
 「若月俊一先生をご存知でしょうか?」