共感するということ


よく、この意見に共感するだとか、あなたに私は共感するといった言葉が使われます。


人間同士のコミュニケーションはまさにその共感することから始まります。みなさんも、共感できなかった相手とは、そうそうまた会いたいなどと思わないことでしょう。


話は少しずれますが、結婚するというのは、少なくとも相手に共感する部分があったから(多くは勘違いとも言われている)、夫婦になるものです。


ここで、興味深い話があります。


カンザス大学のダニエル・バトスン教授は、「ルールを破らせる」という実験を考案しました。学生に対して、「病気の女の子が、薬を予約して待っている。これは貴重な薬で、順番を待たないと普通は手に入らないが、彼女の余命は残り少ない。あなたは規則を破ることになっても、彼女に薬を与えるか?」と質問しました。


ここで学生たちに向かって、「客観的に判断して欲しい」と付け加えると、「ルールを破ってでも薬を上げる」と答えた学生は、半数以下にとどまりました。が「彼女の立場に立って」と付け加えた場合には、7割以上の学生が「薬を上げる」と答えたのです。


このように、人間はちょっとしたことで、確かに他者への配慮を示すことができるようになるようです。実際、発達心理学によれば、10歳前後の子どもでも共感能力を持つのですから、大人がそれを持てないはずがありません。


“患者様の立場になって”とか“スタッフの立場に立って”といっても、院長の私はなかなかそのような視点になれないのがたまに瑕です。個人的にはそのつもりでも、独りよがりであることは今まで様々な場面で実証されています。


ただし、上に書かれた実験結果でも示すように、ちょっとしたことで他者への配慮を示すことができるようになれるのではないか?また、「言われてみて初めて」気づくことができることも、少なくないのではないか?と思う今日この頃です。


今日の一言
 「人間はちょっとしたことで、確かに他者への配慮を示すことができるようになるようです」